
それは戦国時代に、越後の上杉謙信という武将が、能登の国まで攻め入ってきたときのこと。
上杉勢は、能登の熊木・穴水・七尾城を攻め落とし、珠洲から輪島へ入り、やがてこの名舟の村まで攻めこんできました。
「大変じゃあ〜!」「何かよい考えはないものか?」村人は集まって作戦を練りました 。しかし、なかなか良い考えが浮かばずに、困り果ててにいると、一人のじいさまが「わしに、上杉勢を追い払う良い知恵がある」といいました。
じいさまの作戦とは、変装をして上杉勢をおどろかそうというもの。日が沈みかけた頃。名舟の浜に、奇妙ないでたちの男衆が立ちならびました。みな、顔に天狗のような木の面をつけ、海草であしらった髪の毛やヒゲをつけています。そして、やってきた上杉勢の背後に、男衆はそ〜っとまわり、じいさまの合図と同時に陣太鼓を打ち鳴らしたのです。
ドドドンッ、ドドドンッ、ドドドンッドン!
大きな太鼓の音と、それを打つ者たちの異様な姿。これを見た上杉勢のおどろく様は大変なものでした。「ヒィ〜、こりゃばけもんだ〜!」勝ち進んできた上杉勢にしたら男衆の異様な姿は、それまでの負かしてきた戦士たちの亡霊に見えたのです。上杉勢はあっという間に退陣していきました。
「こりゃあ舳倉島(へぐらじま)の田心姫神(たごりひめのかみ)の助けがあったにちがいない。」ひと安心した村人たちは、口々にいい合いました。面をつけた男衆の姿は、村人たちから見ても、“御神乗り(ごじんのり)”といって妖気が乗り移ったように見えたのです。
御神が敵陣に乗り込んで見えたことから、それから輪島では、陣太鼓は「御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)」と呼ぶようになったとさ。
■波打ちぎわで乱れ打つ「御陣乗太鼓」・・・・・・・・・・輪島市・名舟
かつて上杉軍を打ち破ったのが始まりという、武勇伝をもつ御陣乗太鼓。伝説の舞台となった輪島市名舟では、これ以来、毎年夏の「名舟大祭」
(7/31〜8/1)で、御陣乗太鼓を打つようになりました。海上にある神社の鳥居までキリコをかついで行進する海上渡御のあとに、御神乗太鼓の奉納打ちが行われます。鬼面をつけた男衆が、波打ちぎわで太鼓を乱れ打つその姿は実に迫力満点です。 |
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