これは今から800年ほど前のお話です。平安物語でも著名な鎌倉武士、長谷部信連が、源頼朝から能登の地頭に命じられ穴水城主になったのは文治二年(1186)のこと。
ある日、信連は家来たちを引きつれて加賀山中まで狩りに行きました。幸い獲物は上々で、上機嫌の信連たちが帰り道、大聖寺川の川原にさしかかったとき、アシの草むらに白い鳥がいるのが目に入りました。「だれかあの鳥をつかまえてまいれ。」信連の命令で、家来の一人がアシをかきわけて近づくと、それは一羽の白さぎでした。しかも片足を川につけたまま、ピクリともしません。「ハテ?変わった白さぎだ。」
家来からこの報告をうけた信連は、すぐさま馬から下り、川に手をつけました。「やはりここの水は温かいぞ。」信連は納得した表情でうなづきました。「これが世にいう湯治か。この白さぎはケガをしておるし、きっとこの湯は病や傷に効くにちがいない。」そういって、信連はさっそく家来たちにアシの草を刈り取らせ、領民がいつでも入れるよう湯舟をつくらせたのですが、そのときです。
「お屋形さま〜!」。一人の家来が、上流から流れてきたという小さな仏像を手に、信連のもとにかけより、見ればそれは大変に見事な薬師如来像でした。実はこの薬師如来像。さらに500年も昔に、行基常人がこの大聖寺川の川原で湧きでるお湯を発見されたとき、「病に良く効くように」と彫られたものだったのです。そしてお堂を建てて薬師如来像を祀られたのですが、源平の争いでお堂は跡かたもなく倒れてしまったのでした。
「きっと名のある仏様にちがいない・・・。」そう直感した信連は、山の中腹にお堂を建て、薬師如来像を丁重にお祀りしました。また、信連によって湯治場がつくられた山中の温泉は、白さぎのおかげで再発見されたことから「白さぎ湯」ともいわれ、ことに女性がこの湯につかると白さぎのように色が白くなるんだとさ。


■豪勇の穴水城主を偲ぶ「長谷部まつり」・・・・・・・・・・穴水町
穴水町には、郷土のヒーロー、長谷部信連ゆかりの数々の史跡が残ります。長谷部神社は、信連が自作の肖像を刻んで安置したのが起こりだと伝えれ、昭和10年に穴水城麓の現在地に移転しまたした。また、信連を偲ぶ「長谷部まつり」(7/20)では、手づくりの名あげそうけみこしが先導する武者行列がまちをねり歩きます。雅やかな時代絵巻を繰り広げ、とくに夜の穴水湾内で行う、屋型舟や灯篭流しによる光の競演は見ものです。