
昔、能都の田ノ浦のほとりで、人々の暮らしが始まったころのお話です。ある夏の夕暮れ、この湾に七羽の白鳥が舞い降りました。美しい海にさそわれた天女たちが、白鳥に姿を変えて訪れたのです。天女たちは、湾に浮かぶ小島の松の木に、着ていた美しい着物をかけて水浴びをしました。すると、乙蔵という一人の若者が、漁の帰りにその様子を見ていたのでした。
乙蔵は、水にたわむれる白鳥の美しさから、「これは天女にちがいない」と感じとり、ひと目で魅せられてしまいました。そこで、そっと近づいて、乙蔵が一枚の羽衣のような着物をかくしたとき、これに気づいた天女たちは、羽衣をまとってたちまち天に向かって飛び去ってしまいました。けれども、着物をかくされた一人の天女だけは飛ぶことができず、泣く泣く人間界にとどまったのでした。
残された天女は、まもなく乙蔵と夫婦になりました。お浦と名づけられ、いつしか愛情も育まれるようになりました。
そんなある日。乙蔵が漁に出ると、海がにわかに荒れだしました。乙蔵の身をあんじたお浦は、羽衣をまとって湾を見渡し、やがて荒波の中へ入っていきました。海に放りだされた乙蔵を、お浦はわが身に代えて助けたのです。その願いが通じたのか、波はじきに静かになりました。気がつくと、乙蔵は岸に打ち上げられてました。しかし、近くの渚で羽衣が見つかっても、お浦の姿はどこにもありませんでした。
乙蔵はなげき悲しみ、この浜辺を「お浦が崎」と、羽衣の流れ着いた渚を「はね」と呼んでお浦を偲びました。不思議なことに、それからというもの乙蔵は豊漁が続き、「これはきっと小浦が海の神となって乙蔵を守っているんだ」と、村人たちはささやきました。
その後、お浦が身を沈めたときの小島は、海の平安を守る「弁財天」として祀られ、この島を「弁天島」と呼ぶようになったとさ。
■恋物語を秘めた「羽根海岸」と「弁天島」・・・・・・能登町(旧能都町)・羽根
乙蔵が、お浦を偲んで呼んだ「お浦が崎」「はね」は、いつからか「小浦・羽根」の地名となりました。この伝説由来の地名が残るのは、「遠島山公園」から「縄文真脇遺跡」へ向かう風光明媚な海岸線にあたります。現在、羽根海岸は夏には海水浴場としてにぎわいます。また、伝説の小島「弁天島」には、今も「天女の衣がえの松」といわれる老松があり、訪れる人々を哀れさを秘めた恋物語の世界へと誘います。 |
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